エゴと上位存在


こんにちは。

ナインです。

本日も本の紹介をしていきます。

今回紹介する作品は、芥川シリーズ第2弾

 

蜘蛛の糸

 

です。

前回の芥川シリーズでは『桃太郎』を紹介しました。

芥川が『桃太郎』を書いていたことを知らなかった人もいらっしゃったのではないでしょうか。

そんな訳で、今回は有名どころである『蜘蛛の糸』を紹介しようと思いました。

蜘蛛の糸』ならば皆さんもよくご存知なのではないでしょうか。

短い作品ですので、未読の方は是非読んでみてはどうでしょう。

あらすじ

ある日のことです。

御釈迦様は極楽の蓮池のふちを独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。

やがて御釈迦様は蓮池のふちに御佇みになって、池の中の様子を御覧になりました。

池の底は地獄を見通せるようになっています。

するとその中に、カンダタという男が一人、ほかの罪人と一しょに蠢いている姿が、御目に止まりました。

カンダタは生前、様々な悪事を働いた大泥坊でした。

生前彼はたった一つだけ善い行いとして、一匹の蜘蛛を助けたことがありました。

その時の行いを御思い出し、カンダタを救い出してやろうと御考えになった御釈迦様は、カンダタに向けて銀色の蜘蛛の糸を地獄に向けて御下しになりました。

地獄で責苦にあっていたカンダタは、銀色の蜘蛛の糸を見つけると早速上へ上へと昇っていきました――。

感想

今作において読み取れるテーマは二つあると私は考える。

 

一つは単純に「人間のエゴイズム」である。

己の利を第一に考え、他人の利益を考えない思考である。

今回のカンダタの場合、「この蜘蛛の糸は己のものだぞ」というセリフがある。

仮に自分が同じ状況にあった場合、出てくる言葉は「糸が切れるから降りろ」だろう。

しっかりと理由をつけてきちんと説得する。

対してカンダタのセリフは自分のことを一番に考えており、他の者の一切を考えていない利己的なものである。

自分「だけ」が助かるにはどうすればいいか、という意思がカンダタのセリフからみてとれる。

正に人間のエゴイズムを露呈しているといえる。

 

二つ目に「御釈迦様という人間の上位存在から見た人間の扱い」だ。

御釈迦様がカンダタを救い出してやろうと御考えになったのは何故か。

カンダタは確かにたった一つだけ善い事をした。

しかし悪人は悪人であり、果てには大泥坊とまで呼ばれている。

そんなカンダタより善い人であるにもかかわらず地獄に落とされた人間も中には居るのではないか。

この点について私は少し疑問を持った。

何故他の誰でもなくカンダタだったのか。

私なりの理解は、そもそも御釈迦様が池の底を御覧になったのは、ただの気まぐれ、もしくは暇つぶし程度のものなのではと考えた。

そして偶々カンダタを見つけ、偶々カンダタが善い行いをしていたことを御思い出し、偶々カンダタのことを救い出してやろうと御考えになったのではないか。

あくまでカンダタに救いの手が伸びたのは偶然であると考える。

ここで大事だと思うのは、人間など御釈迦様から見れば取るに足らない存在であり、気まぐれ、暇つぶし程度に使われるものだということだ。

 

最後にもう一つだけ付け加えるなら、「悪人はどこまでいっても悪人であり、結局助からない」というテーマも読み取れるのではないかと私は思う。

おわりに

今回は『蜘蛛の糸』について書きました。

感想というより若干考察っぽくなってしまいましたが……

ではまた次回もよろしくお願いいたします。

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

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