子供・大人


こんにちは。

ナインです。

本日も本の紹介です。

今回紹介する作品は

 

『トロッコ

 

です。

芥川シリーズ第3弾ですね。

教科書で読んだ方も多いのではないでしょうか?

成長した今、改めてこの作品を読んでみると、読んだ当時思ったことや考えたこと、感じたこととはまた違った想いがあるのではないかと思います。

教科書に載っているから子供向けというわけではありません。

しかし今ならもっと深く読めると思います。

浅く読んでも深く読んでも、子供から大人までたくさんの方が楽しめる作品です。

感想にネタバレがあります。

気になる方はお気をつけてお読みください。

若干考察っぽいかもしれません。

あらすじ

小田原熱海間便鉄道敷設の工事が始まったのは、良平が八歳のころだ。

良平は毎日村外れへその工事を、もといトロッコの見学をしに行っていた。

良平はそんな景色を眺めながら一度でもいいからトロッコに乗ってみたいと思っている。

そんなある日、良平は弟と隣に住む子を連れて村外れに向かった。

運良く誰もいなかったので遂に良平は念願のトロッコに乗ることとなる。

そこに誰かの足音が聞こえてきたかと思うと、それは怒鳴り声に変わった。

季節外れの麦藁帽をかぶった、背の高い土工に怒られてしまう。

その後、十日余りたってから、良平は又一人で工事場でトロッコを眺めていた――。

感想

私はトロッコや土工をどう捉えるか、これについて考えてみた。

その結果、幼い良平から見たらこれらは「大人の世界」なのではと考えた。

最初、良平は土工にあこがれ、弟たちとトロッコに乗る。

つまり子供たちと大人の世界の接触を表現していることになる。

しかし良平は麦藁帽をかぶった背の高い土工に叱られる。

ここで社会の厳しさ、辛さを表している。

そしてその後、今度は親しみ易そうな二人の若い土工に出会う。

こちらは社会の優しを表す。

麦藁帽をかぶった背の高い土工と、親しみ易そうな二人の若い土工はちょうど対比となるような存在と言える。

 

念願かない、トロッコを押していく良平。

最初は押すことが楽しいと思っていた良平だが、やはり「押すよりも乗る方がずっと好い」と思うようになる。

同時に「行きに押す所が多ければ、帰りに又乗る所が多い」とも考える。

これは社会に出始めたばかりの人間の心情なのではないかなと思う。

しかし良平はまだ八歳の少年である。

海や雑木林が見えてくると面白い気持ちになれなくなる。

そして帰りたいとさえ思うようになる。

その結果、土工たちにも冷淡な態度をとってしまうが、すぐに冷淡にしてはすまないと思い直す。

他には帰り際に「取って附けたような御辞宜」をするなど、子供ながらに気遣いを見せている。

良平の人柄を表すとともに、こういった描写はとてもリアルだと感じる。

こうして二人と別れた良平は、泣きながら家へと帰る。

 

この作品は大人になった良平が回想するという形になっている。

最後は大人になった良平の話がすすんでいく。

「塵労に疲れた彼の前には今でもやはりその時のように、薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している。」とあるように、トロッコや土工を「大人の世界」に例えているのではないかと思う。

おわりに

この作品は深く考えずに読めば、幼いころのセンチメンタルな思い出を描いただけの作品かなと思います。

もちろんそれだけでも充分に楽しむことはできます。

しかしこうして一つ一つに意味を見出し、情報を引き出し考えることによって、全く違った感想を抱くことができます。

これは芥川作品全般にいえることで、「深く考察」することができます。

皆さんが私が紹介したものも含め、他の芥川作品を読む機会があれば、一度深読みしてみるのも楽しいかもしれません。

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

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