移り行く


こんにちは。

ナインです。

本日も本の紹介です。

今回紹介する作品は

 

『蜜柑』

 

です。

今回何を紹介しようか悩んだ挙句、性懲りもなく芥川です。

これで芥川シリーズも第6弾です。

 

少しだけこの作品の解説を。

1919年の発表当時は「私の出遇った事」というタイトルでした。

後に改題されて、現在の「蜜柑」というタイトルになりました。

この作品は、芥川自身の体験を基にして書かれたものです。

上にも書いたように、発表されたのは1919年ですが、作中は1916年のもので、芥川が24歳の時のものです。

芥川は東京大学を卒業後、横須賀の海軍機関学校にて英語の嘱託職員として働き始めます。

横須賀に勤めつつ鎌倉に下宿しており、職場に行く際などに横須賀線を利用していました。

物語の中では上りということで東京行きの列車となっています。

読んだことない方は何を言っているんだと思われるかもしれませんが、『蜜柑』を読んだ後にもう一度見ていただくと、わかってもらえると思います。

今回もネタバレありです。

あらすじ

或曇った冬の日暮である。

私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下ろして、ぼんやり発車の笛を待っていた。

とうに電燈のついた客車の中には、珍しく私の外に一人も乗客はいなかった。

私の頭の中には云いようのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりした影を落していた。

私は外套のポッケットへじっと両手をつっこんだまま、そこにはいっている夕刊を出して見ようと云う気さえ起らなかった。

やがて、発車の笛が鳴った。

間もなく車掌の何か云い罵る声と共に、私の乗っている二等室の戸ががらりと開いて、十三四の小娘が一人、慌しく中へ入って来た、と同時に一つずしりと揺れて、徐(おもむろ)に汽車は動き出した――。

感想

私が注目したのは「作品そのものの色の変化」である。

 

作品の書き出しが

「或曇った冬の日暮である。」

なのだが、私はこの文章のために、物語自体を曇ったような色でイメージして読み進めていた。

さらにそのイメージを強調するように、「私」の明るいとはいえない心情が続く。

しかし、最後の少女の行動によってそのイメージは一変する。

「窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢いよく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。私は思わず息を呑んだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾顆の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。」

まさに「私」が感じた事とまったく同じことを私も感じた。

この部分に私も息を呑み、そして物語の色が曇った色からオレンジ色に変わった瞬間である。

このタイミングで所謂タイトル回収をしている部分も見事であると思った。

 

もちろんこれ以外にも色々と注目するべき点はあるのだが、私は「色」に注目した。

おわりに

『蜜柑』という作品に出合ったきっかけは、この作品が、当時私が読んでいた小説の中に登場したからでした。

少しでも作中の人物を追体験しようと思い読んでみた、という記憶があります。

短いながらも、「やはり芥川」と思わせる魅力があり、いつの間にか引き込まれていました。

本当に短い作品ですので、隙間時間にでも是非サッと読んでみてください。

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

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