善悪の是非
こんにちは。
ナインです。
本日も本の紹介です。
今回紹介する作品は、芥川龍之介の
『桃太郎』
です。
いまさら説明をする必要もない作品ですね。
桃から生まれた桃太郎が鬼を倒すというお話です。
その桃太郎を芥川がどのように書いているか、是非御一読ください。
あらすじ
昔々で始まる日本で一番有名な物語。
芥川が書く桃太郎はその前とその後も表す。
善とは何か?
悪とは何か?
今一度それを問うてみる。
感想
日本に住んでいて、桃太郎を知らない者がいるだろうか。
最も著名な昔話として桃太郎は現在も語り継がれている。
ここまで桃太郎が広まったのも、その勧善懲悪で簡潔な筋道が故であろう。
しかし、最も著名な文豪の一人として知られる芥川龍之介はこの道筋をなぞるも、異なる解釈をしたようである。
一般に伝えられる桃太郎の絶対的な敵、悪として鬼が存在する。芥川の『桃太郎』では、この鬼は絶対的な被害者、弱者として存在する。
人間が鬼を忌み嫌うように、鬼も人間を恐れ、野蛮な存在として語り継いでいるのである。
「お前たちも悪戯をすると、人間の島へやってしまうよ。」と。
「人間というものは角の生えない、生白い顔や手足をした、何とも言われず気味の悪いものだよ。」と。
また、『桃太郎』の鬼が島征伐の動機もただの惰性であり、お爺さんたちも厄介払いとして桃太郎を送りだす。
考えてみれば、一般的に語られている桃太郎も、供である犬、猿、雉に忠誠心などあらず、存在するのは黍団子に対する物的衝動のみである。
芥川はこの部分も顕著に描写している。
そして、『桃太郎』たちは、椰子の木に囲まれた安穏たる孤島、鬼が島に辿り着く。
そこで実行されたのは一方的な虐殺である。
「進め!進め!鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」と、『桃太郎』たちは、鬼は子供でも容赦なく突き殺し、猿は鬼の娘たちを絞め殺す前に陵辱を施す。
降参した鬼の長は「わたくしどもはあなた様に何か無礼でも致したか。」と恐る恐る『桃太郎』へ質問する。
どうして何もしていないのに侵略をされなければならないのかという至極真っ当な疑問である。
この問いに対しての『桃太郎』の回答はこうだ。
「鬼が島を征伐したいと志したから。」これほどの屈辱を経験した鬼たちは、穏やかな生活を捨て、復讐の鬼となる。
鬼たちは鬼が島の独立を図り、『桃太郎』の館に火をつけ、椰子の実に爆弾を仕込み『桃太郎』の寝首をかこうとする。
恐れていた人間に牙をむくのである。
まるで、一般に語り継がれる桃太郎の鬼のように。
桃太郎と類似する言い伝えとして、源頼光と坂田金時らによる酒呑童子退治がある。
芥川は桃太郎の中で、この言い伝えにも疑問を示している。
女性崇拝家であった頼光と四天王が、大江山の女人の言う所をことごとく真実と認めただけではないかと。
バアルはフェニキアにとっての神である。
バアルはローマにとっての悪魔である。
ニーチェは著書である『アンチ・キリスト』で「悪とは何か。弱さから生ずるすべてのものだ。」と指摘している。
悪とは相対的なものであり、強きによって生み出され、逆進性をなすのかもしれない。
おわりに
いかがでしょうか?
芥川が桃太郎を書いていたということを知らなかった人もいたのではないでしょうか?
下記で紹介しているのは大人向け絵本なのですが、この機会に是非お手にとってみてください。
また次回もお読みください。
最後までお読みくださりありがとうございます。