【特別編】『秒速5センチメートル』考察


こんにちは。

ナインです。

本日は特別編ということで、アニメの考察をしていきたいと思います。

今回考察していく作品は、「新海誠」監督の

 

秒速5センチメートル

 

です。

2007年に公開された作品ですね。

本作品は短編3つにより構成されたアニメーション作品になります。

新海誠監督といえば、2016年に公開された『君の名は。』が話題になりましたね。

個人的な意見なのですが、この作品を見た後に君の名は。を見てほしいなと思います……

前回同様に考察部分は閉じておきます。

あらすじ

「桜花抄」

互いに思いあっていた貴樹と明里は、小学校卒業と同時に明里の引っ越しで離ればなれになってしまう。中学生になり、明里からの手紙が届いたことをきっかけに、貴樹は明里に会いにいくことを決意する。

「コスモナウト」

やがて貴樹も中学の半ばで東京から引っ越し、遠く離れた鹿児島の離島で高校生活を送っていた。同級生の花苗は、ほかの人とはどこか違う貴樹をずっと思い続けていたが……

秒速5センチメートル

社会人になり、東京でSEとして働く貴樹。付き合った女性とも心を通わせることができず別れてしまい、やがて会社も辞めてしまう。季節が廻り春が訪れると、貴樹は道端である女性に気付く。

考察

新海誠監督のアニメーション作品である『秒速5センチメートル』の作品論を以下の視点から考察する。

1.第一章から第二章への媒体物の変化

2.白の連鎖

3.『コスモナウト』に見られる直線的表現

4.失恋の象徴としての桜

1.第一章から第二章への媒体物の変化

第一章から第二章にかけて、媒体物の変化が見られる。

まず、電車とスクーターである。

第一章では、貴樹とヒロインである明里をつなぐ乗車物として電車が描かれている。

視点を車内とすることで、点滅する蛍光灯や手動で操作するドアといった象徴的な具象が生まれていた。

さらに、視点が車内であり、電車が貴樹と明里を空間的につなぐものとして描かれていた第一章に対して、第三章では視点が車外となり、電車は踏切で貴樹と明里を空間的にい隔てるものとして描かれていた。

この重層的な対比構造も見事である。

第二章においては、貴樹とヒロインである花苗をつなぐ乗車物としてスクーターが描かれている。

花苗は貴樹と一緒に帰るためにスクーター置き場で待ち伏せをしていて、終盤においてもスクーターが故障することによって貴樹と歩を共にするのである。

また、季節の変化も衣類が覆い被さったスクーターという短いショットで表現されている。

このようにこの作品では、乗り物が最大限に活用されていた。

また、連絡手段も第一章から第二章かけて変化している。

第一章において、貴樹と明里が連絡に使っていたのは、手紙である。

それが第二章になると、メールに変化する。

しかし、第二章において貴樹はメールを打っても送信することができずにいる。

連絡媒体は物理的に小型化し簡略化したのにもかかわらず、精神的に連絡できなくなってしまったのだ。

第一章においてお互いが手紙を渡せなかったことが印象的だが、私はそれ以上に手段の簡略化と行動の難化という矛盾が表現として高度なものであると考える。

2.白の連鎖

 この作品では白という主題系があらゆる具象を通して描かれている。

白い吐息や積雪はもちろん、駅の電光掲示板の点滅の間の白い光や駅舎のストーブの薬鑵の上の白い水蒸気まで、白のイメージの主題系は一貫している。

加藤幹郎(2009)は『秒速5センチメートル』における白の主題系について「木漏れ日の中を秒速5センチメートルで舞い散る桜の花びらから秒速5センチメートルで降りしきる粉雪へと、そしてまた南の島の砕け散る白い波と湧き起こる白い積乱雲へと重層的にイメージが連鎖するところが本作の魅力となっている。

大気と入り混じるこれらの白い浮遊物の主題系は本作品を何よりも色濃く一貫している。」と述べている。

このようにイメージとしての白が連鎖することがこの作品を引き立てているのである。

中でも、私にとって特に印象的だった場面が、第一章のヒロインの明里が貴樹に転校を知らせるシーンである。

その前の場面で、貴樹は降雪により待ち合わせに間に合わないことを悟り、ため息のような白い吐息を吐く。

そこから過去に場面が移り、明里が貴樹に公衆電話で転校を知らせるシーンとなる。

このときに明里が公衆電話ボックスの中で嗚咽のような白い吐息を吐く。

私はこの吐息という白の連鎖に感銘を受けた。

公衆電話という場所の設定も見事である。

これが屋内からの電話になってしまうと、凍てつく寒さにより吐息が白くなるというリアリティが失われてしまう。

こういったリアリティの尊重も新海監督は重視しているように思われる。

3.『コスモナウト』に見られる直線的表現

第二章のコスモナウトでは、さまざまな場面で直線的な動きが見られる。 

まず、貴樹が放つ弓矢である。

『コスモナウト』では冒頭から、主人公である貴樹が部活動において弓矢を場面が描かれていた。

矢とは、直線的な動きをすることに加え、「光陰矢の如し」という言葉で象徴されているような時間的なイメージを連想させる働きがある。

 つまり、この直線的な動きには空間と時間を座標軸とした二面性が存在するということである。

この作品全体のタイトルである『秒速5センチメートル』もまた、時間と空間が内在した表現である。

そして、矢という具象はこの二面性を表現することにおいて非常に有効な存在である。

この表現によって、貴樹が明里への想いを一途にしたまま、時間がまっすぐに経過していったことを連想できるのである。

次に、花苗が飛ばす紙飛行機である。

貴樹が誰かにメールを打つ様子を見てから二章のヒロインである花苗は紙飛行機を飛ばす。

この紙飛行機もとても直線的な動きをしている。

この表現からは、花苗が貴樹の一途な想いを確信したということを連想することができる。

そして最後に、ロケットの発射である。

第二章の終盤では、貴樹と花苗が歩いて帰る途中に偶然ロケットの発射に遭遇する。

このロケットもとても直線的な動きをする存在である。

ロケットの発射を見た花苗は貴樹が自身のことを全く見ていないことを確信し、告白を諦める。

また、作品内において、ロケットは果てなき宇宙への孤独な旅として表現されている。

白い噴射流を立てながら、直線的に白い積乱雲をかすめて飛んでいくロケットは、一途な貴樹の想いと、それに気づいて波乗りを成功させたのに告白することができない花苗の想い、そしてこれからの貴樹の孤独な旅を暗示する存在として非常に印象的である。

二章ではこれらのような直線的な動きをする具象によって、効果的に人物の内面が表現されている。

4.失恋の象徴としての桜

秒速5センチメートル』において、作品の象徴と言えるものが桜である。

桜は日本において古来、親しまれてきたが、多くの場合それに象徴されることは華々しい成功である。

受験において志望校に合格することを「桜咲く」と表現することがあるように、桜は時代や作品の種類を問わず、成功の象徴とされることが多い。

しかし、『秒速5センチメートル』では、この桜を美しいという本質を違えることなく、むしろ失恋の象徴として描いているのである。

この失恋の象徴としての桜を、写実的かつ美麗なアートワークで効果的に表現しているのがこの作品の魅力である。

桜が美しいということは自明であるから、それをわざわざ表現することは稚拙なことであるとする考えもある。

しかし、桜が美しいということは千年不変の真理である。

したがって、その真理を表現することは避けるべきことではない。

画家であり、俳人としても活躍する甲士三郎の句に次のようなものがある。

「狂ほしや過去の桜が散り止まず」

秒速5センチメートル』に見られる、残酷なまでに美しい桜と、それが象徴する恋愛を見事に表現した句である。


 また、このアニメーションの主題歌である山崎まさよしの『One more time, One more chance』においても「明け方の街桜木町でこんなとこに来るはずもないのに」というフレーズが見られる。

これも「桜木町」という固有名詞を用いて、具体的かつ効果的に桜を象徴として描いている。

このように、『秒速5センチメートル』は、台詞、タイトル、アートワーク、主題歌というあらゆる表現方法を通して、日本において古来親しまれる桜という風景を、その残酷なまでに美しい側面を孕ませつつ、登場人物の内面に映し出しているのである。

おわりに

 いかがでしょうか?

前回よりも若干量が多くなってしまいました。

今回は特別編ということでアニメの考察を書きましたが、もしかしたらまたアニメの考察、もしくは感想を書くかもしれません。

その時は是非お読みください。

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

秒速5センチメートル
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