残るもの


こんにちは。

ナインです。

本日も本の紹介です。

今回紹介する作品は

 

『姥捨』

 

です。

太宰治の作品です。

太宰の作品について書くのはこれで2作目です。

今まであまり太宰の作品については書いてこなかったので、これからは少しでも書いていこうと思います。

今回は『姥捨』という作品なのですが、私は最初このタイトルを見た時に、『姥捨山』が思い浮かびました。

だからというわけではありませんが、最初読んでいるうちはタイトルの意味があまりわかりませんでした。

しかし読み進めると、あぁ、そういうことかと納得することができました。

あまり長くはないので、是非ご一読ください。

ネタバレしています。

お気をつけください。

あらすじ
 そのとき、
「いいの。あたしは、きちんと仕末いたします。はじめから覚悟していたことなのです。ほんとうに、もう。」変った声で呟いたので、
「それはいけない。おまえの覚悟というのは私にわかっている。ひとりで死んでゆくつもりか、でなければ、身ひとつでやけくそに落ちてゆくか、そんなところだろうと思う。おまえには、ちゃんとした親もあれば、弟もある。私は、おまえがそんな気でいるのを、知っていながら、はいそうですかとすまして見ているわけにゆかない。」などと、ふんべつありげなことを言っていながら、嘉七も、ふっと死にたくなった。
「死のうか。一緒に死のう。神さまだってゆるして呉れる。」
 ふたり、厳粛に身支度をはじめた——。

感想

太宰はまるで懺悔のような話を書くように思う。

まるで自身を投影したかのような人物を作中に登場させては、すぐに殺そうとする。

しかし太宰は、そうすることによって自身の死の衝動と戦っていたのかもしれない。

『姥捨』は言ってしまえば夫婦が心中する話。

なにもかもが破綻してしまった結果の死という選択。

しかし私は、作中に絶望感はあまりないように思う。

案外、心中するものの心境に、絶望などあまりないのかもしれない。

私は心中しようとしたことがないので分からないが、何度も自殺しようとした太宰は、他人よりよっぽど心中しようとする者の感情に詳しいのではないだろうか、などと考える。

死ぬことに躊躇わぬ妻、そんな女を死なせたくない夫。

両者の想いは正反対なようで、その実とても似ているものだ。

太宰は作中で投影した自身を殺すことによって、あるいは殺そうとして、何か感じとろうとしているのかもしれない。

そうなのであれば、なるほど少しは共感できなくはない。

まあ結果はあの通りなのだが。

おわりに

次回の更新は火曜日の予定です。

お楽しみにお待ちください。

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

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