ダラダラ
こんにちは。
ナインです。
本日も本の紹介です。
今回紹介する作品は
『堕落論』
です。
坂口安吾の代表的な作品です。
坂口の作品について書くのは初めてですね。
最初ということなので、坂口といえばこれ、という『堕落論』をチョイスしました。
『堕落論』は物語ではなく、随筆・評論です。
第二次世界大戦直後の日本社会の倫理観を観察し、戦時中の体験を踏まえながら、これからの人々の生きる指標を示した本となっています。
物語ではないのでネタバレとかは関係なしです。
あらすじ
半年のうちに世相は変った。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変ったのではない。人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。
昔、四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼等が生きながらえて生き恥をさらし折角の名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったそうな。現代の法律にこんな人情は存在しない。けれども人の心情には多分にこの傾向が残っており、美しいものを美しいままで終らせたいということは一般的な心情の一つのようだ。十数年前だかに童貞処女のまま愛の一生を終らせようと大磯のどこかで心中した学生と娘があったが世人の同情は大きかったし、私自身も、数年前に私と極めて親しかった姪の一人が二十一の年に自殺したとき、美しいうちに死んでくれて良かったような気がした。一見清楚な娘であったが、壊れそうな危なさがあり真逆様に地獄へ堕ちる不安を感じさせるところがあって、その一生を正視するに堪えないような気がしていたからであった——。
感想
坂口は戦争中は嘘のような理想郷だと書いた。
それは偏に爆弾の絶えざる恐怖により、余計なことを考えなくて済むからだ。
考えることがない限り、人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれておれば良かったからだと。
しかしそれは虚しい美しさであり、人間の真実の美しさではないとも書いた。
終戦後、自由を許されれば、不自由さに気づく。
そしてまた考えだすのだ。
「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。」
しかし人間は永遠に堕ちぬくことはできない。
正しく堕ちる道を堕ちきることの何と難しいことか。
おわりに
偶には物語以外もいいですね。
最後までお読みくださりありがとうございます。