シリーズラスト(多分)


こんにちは。

ナインです。

本日も本の紹介です。

今回紹介する作品は

 

或阿呆の一生

 

です。

遂に記念すべき第10弾です。

この作品は芥川の死後に見つかった作品で、遺書的な作品といわれています。

第10弾をもって芥川作品の紹介に一区切りつけようと思っているため、最後というつながりでこの作品を第10弾にしようと考えていました。

もちろん芥川の作品はまだまだたくさんありますが、キリがいいのと、そろそろ他の作家の本についても書こうかなと思っているので、とりあえずの一区切りです。

もしかしたら番外編とか称して書くかもしれないですけど……

 

この作品は断片的に話がすすんでいきます。

各断片にはそれぞれタイトルがついています。

その中の一つ、「八 火花」というタイトルの断片があるのですが、これは芥川賞を受賞したお笑い芸人の又吉直樹さんが書いた「火花」の名前の由来となっています。

また、「ニ十五 ストリントベリイ」にスウェーデンの劇作家A.ストリンドベリの自伝的小説『痴人の告白』について触れているのですが、この作品の原題が「ある阿呆の弁明」の意味をもち、タイトルである『或阿呆の一生」はここからきているということがわかります。

あらすじ

 僕はこの原稿を発表する可否は勿論、発表する時や機関も君に一任したいと思つてゐる。

 君はこの原稿の中に出て来る大抵の人物を知つてゐるだらう。しかし僕は発表するとしても、インデキスをつけずに貰ひたいと思つてゐる。

 僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしてゐる。しかし不思議にも後悔してゐない。唯僕の如き悪夫、悪子、悪親を持つたものたちを如何にも気の毒に感じてゐる。ではさやうなら。僕はこの原稿の中では少くとも意識的には自己弁護をしなかつたつもりだ。

 最後に僕のこの原稿を特に君に托するのは君の恐らくは誰よりも僕を知つてゐると思ふからだ。(都会人と云ふ僕の皮を剥はぎさへすれば)どうかこの原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑つてくれ給へ。

   昭和二年六月二十日

                                  芥川龍之介

  久米正雄

感想

この作品を読み終わった、その時の心中を、私は言葉にできなかった。

いや、正しく表現できる言葉が私の中になかった、というのが正直なところだ。

私の無知がまた一つ判明した瞬間でもあるだろう。

 

この作品はタイトル通り、時代に始まり、敗北で幕を下ろす、芥川の一生が書かれている。

その一生に、あなた達が何を思い、何を考え、どんな意見を抱くのか。

そして、できることならば、是非感想を言葉にして私に教えてほしい。

この感想に言葉という名前をつけてみたいと思う。

 

読んでいて思うことなのだが、この作品は文章が簡潔である気がする。

その点において、今までの芥川の作品とは少しだけ毛色が違うように思う。

凝った文章というわけでもないのにやはり引き込まれる何かを感じ、見事といえる。

おわりに

作品の紹介が主となってしまいました。

しかしこの作品は読んだ本人がどのように受け止めたかが重要だと私は思っています。

感想を長々と書いてしまうと、そちらにみなさんの感想が引っ張られてしまうのではないかと思いました。

そのため感想はあまり書かずに紹介の方を少し長く書こうと思ったのです。

 

次回から芥川以外の作品を紹介していきます。

誰にしようかはまだ決めていません。

誰にしようかな……

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

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