楽しむのは過程
こんにちは。
ナインです。
本日も本の紹介です。
今回紹介する作品は
『芋粥』
です。
芥川です。
もうツッコミません。
第10弾までは書こうかなと思っているのでツッコミません。
絶対ツッコミません。
というわけで芥川シリーズ第8弾です。
この作品は『今昔物語集』の中の一話に題材をとっています。
今回もネタバレありです。
あらすじ
元慶の末か、仁和の始にあつた話であらう。
その頃、摂政藤原基経に仕へてゐる侍の中に、某と云ふ五位があつた。
これも、某と書かずに、何の誰と、ちやんと姓名を明にしたいのであるが、生憎旧記には、それが伝はつてゐない。
恐らくは、実際、伝はる資格がない程、平凡な男だつたのであらう。
五位は、風采の甚揚らない男であつた。
第一背が低い。
それから赤鼻で、眼尻が下つてゐる。
口髭は勿論薄い。
頬が、こけてゐるから、頤が、人並はづれて、細く見える。
唇は――一々、数へ立ててゐれば、際限はない。
我五位の外貌はそれ程、非凡に、だらしなく、出来上つてゐたのである。
かう云ふ風采を具へた男が、周囲から受ける待遇は、恐らく書くまでもないことであらう。
侍所にゐる連中は、五位に対して、殆ど蠅程の注意も払はない。
有位無位、併せて二十人に近い下役さへ、彼の出入りには、不思議な位、冷淡を極めてゐる。
しかし、五位はこれらの揶揄に対して、全然無感覚であつた。
では、この話の主人公は、唯、軽蔑される為にのみ生れて来た人間で、別に何の希望も持つてゐないかと云ふと、さうでもない。
五位は五六年前から芋粥と云ふ物に、異常な執着を持つてゐる。
芋粥を飽きる程飲んで見たいと云ふ事が、久しい前から、彼の唯一の欲望になつてゐた。
勿論、彼は、それを誰にも話した事がない。
いや彼自身さへそれが、彼の一生を貫いてゐる欲望だとは、明白に意識しなかつた事であらう。
が事実は彼がその為に、生きてゐると云つても、差支ない程であつた。
その始終を書かうと云ふのが、芋粥の話の目的なのである――。
感想
一つの例をとってみる。
「最強」になりたいと思う男がいた。
男は長い間修業をした。
その結果、男に勝てるものは誰もいなくなった。
傍から見ると男は「最強」になったと言える。
しかし男は満足していなかった。
願っていたはずの「最強」になったのに、である。
「最強」になった男は、いざ「最強」になると、その後どうすればいいかわからなくなる。
男にとって一番幸せだった時は「最強」になった時ではなく、日に日に「最強」に近づいていく修業の時だったであろう。
『芋粥』でも似たようなことが言える。
芋粥に飽きたいとおもっていた五位は、いざそれを目の前にすると、全然飲むことができなかった。
あれほど焦がれ、執着していたのにである。
上記の例をなぞるなら、芋粥に飽きたいと思っていた頃が一番幸せだったのであると言える。
願いを叶えるのではなく、その願いを追っている時が一番幸せなのだろうか。
おわりに
私は基本的にハッピーエンドの物語が好きです。
中でも主人公にとっての最良が一番好きです。
逆に主人公にとってのバッドエンドや、報われないような物語はあまり好きではありません。
極論を言うと、最後に主人公のいいように傾いていればあとはどうでもいいのです。
「主人公至上主義」とでも言えばいいのでしょうか。
もちろん作品によって多少の例外はありますが……
そのような理由で、今回紹介した『芋粥』もあまり好きではありません……
ですがこれは私の個人的な意見なので、「ふーん、そうなんだ」程度に流しておいてください。
10弾までやると言ったので、次回も芥川の予定です。
是非ご覧になってください。
最後までお読みくださりありがとうございます。