本質


こんにちは。

ナインです。

本日も本の紹介です。

今回紹介する作品は

 

山月記

 

です。

中島敦の作品です。

今更説明するまでもないような作品だと思います。

みなさんも教科書などで一度は読んだことがあるのではないでしょうか?

この作品が中島のデビュー作となります。

清朝の説話集『唐人説薈』中の「人虎伝」が元になっています。

読んでる方も多いと思うので、あまり意味はないと思いますが一応いっておきます。

ネタバレありです。

あらすじ

 隴西の李徴は博學才穎、天寶の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかつた。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に歸臥し、人と交を絶つて、ひたすら詩作に耽つた。下吏となつて長く膝を俗惡な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺さうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に驅られて來た。この頃から其の容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに烱々として、曾て進士に登第した頃の豐頬の美少年の俤は、何處に求めやうもない。數年の後、貧窮に堪へず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へか譯の分らぬことを叫びつつ其の儘下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻つて來なかつた。附近の山野を搜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなつたかを知る者は、誰もなかつた——。
感想

この作品に最も印象的な所は、やはり李徴が虎になるところだろうか。

誰しもが小説なのだからとあまり違和感を覚えることはないのだろうが、当然だがそこもしっかりと理由付けされている。

しかしてその理由が「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」のせいだ。

病は気からなどと言うが、それで虎に変身するのだから、馬鹿にできないものなのかしれない。

 

人間が虎になるなどと突飛な発想だが、登場人物の描写や、主人公である李徴の性格には人間の本質的な部分が見てとれる。

それ故に妙な現実味を与えてくる。

この作品テーマはやはり「自尊心と羞恥心」であろう。

自分の能力を他人に認めてほしという思いと、一方で自分の能力不足が他人に露見するのが怖いという思いのジレンマだ。

こういった人間の本質的な弱さの部分を小難しく考えることなく書かれており、中島の伝えたいことが万人に伝わる様な作品になったのではないだろうか。

おわりに

何故今まで『山月記』について書かなかったのでしょうか。

すっかり忘れておりました。

 

次回もよろしくお願いします。


最後までお読みくださりありがとうございます。

李陵・山月記 (新潮文庫)
中島 敦
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