百五十
こんにちは。
ナインです。
本日も本の紹介です。
今回紹介する作品は
『失敗園』
です。
太宰治の作品です。
これで太宰の作品について書くのは3作目です。
ネタバレありです。
お気をつけください。
あらすじ
(わが陋屋には、六坪ほどの庭があるのだ。愚妻は、ここに、秩序も無く何やらかやら一ぱい植えたが、一見するに、すべて失敗の様子である。それら恥ずかしき身なりの植物たちが小声で囁、私はそれを速記する。その声が、事実、聞えるのである。必ずしも、仏人ルナアル氏の真似でも無いのだ。では。)
クルミの苗。
「僕は、孤独なんだ。大器晩成の自信があるんだ。早く毛虫に這いのぼられる程の身分になりたい。どれ、きょうも高邁の瞑想にふけるか。僕がどんなに高貴な生まれであるか、誰も知らない。」
ネムの苗。
「クルミのチビは、何を言っているのかしら。不平家なんだわ、きっと。不良少年かも知れない。いまに私が花咲けば、さだめし、いやらしい事を言って来るに相違ない。用心しましょう。あれ、私のお尻をくすぐっているのは誰? 隣りのチビだわ。本当に、本当に、チビの癖くせに、根だけは一人前に張っているのね。高邁な瞑想だなんて、とんでもない奴さ。知らん振りしてやりましょう。どれ、こう葉を畳んで、眠った振りをしていましょう、いまは、たった二枚しか葉が無いけれども、五年経ったら美しい花が咲くのよ。」
感想
野菜の擬人化とでも言えばいいだろうか。
野菜たち各々が何を思っているのか。
まあこの作品では愚痴ばっかりだったのだが。
太宰の作品の中ではこういった形は珍しいのではないかと思う。
殆どが人間メインの話であり、その他というのはあまりない気がする。
そう考えると、本作は短編ながらも貴重な作品と言える。
もちろん見所は野菜たちの愚痴ばかりではない。
野菜たちの会話から想像できる夫婦の様子も見所の一つだ。
今回の野菜たちの愚痴の中で特に多いのが成長不足だろう。
理由としては「愚妻は、ここに、秩序も無く何やらかやら一ぱい植えたが」と、沢山の野菜を同時に育てて起こった土の栄養不足と言える。
しかし主人は「愚妻」と称しているが、主人も「あげくの果には、私の大事な新芽を、気が狂ったみたいに、ちょんちょん摘み切ってしまって、うむ、これでどうやら、なんて真顔で言って澄ましているのよ。」などと少しばかり呆れるような行動にでている。
「愚妻」と称する主人もなかなかの愚かっぷりである。
野菜たちからすれば、どっちもどっち、五十歩百歩だろう。
おわりに
次回は明日更新予定です。
お楽しみにお待ちください。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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