可愛い可愛い
こんにちは。
ナインです。
本日も本の紹介です。
今回紹介する作品は
『愛撫』
です。
なかなか時間がとれず、前回からだいぶ時間が空いてしまいました。
申し訳ございません。
さて今回は梶井基次郎の作品です。
前に『檸檬』『桜の樹の下には』の二作品を紹介したことがありました。
今回『愛撫』というタイトルですが、別にエロティシズムな作品というわけではありません。
可愛い猫の話です。
ネタバレしています。
お気をつけください。
あらすじ
猫の耳というものはまことに可笑しなものである。薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛が生えていて、裏はピカピカしている。硬いような、柔らかいような、なんともいえない一種特別の物質である。私は子供のときから、猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやってみたくて堪らなかった。これは残酷な空想だろうか?
否。まったく猫の耳の持っている一種不可思議な示唆力によるのである。私は、家へ来たある謹厳な客が、膝へあがって来た仔猫の耳を、話をしながら、しきりに抓っていた光景を忘れることができない。
このような疑惑は思いの外に執念深いものである。「切符切り」でパチンとやるというような、児戯に類した空想も、思い切って行為に移さない限り、われわれのアンニュイのなかに、外観上の年齢を遙かにながく生き延びる。とっくに分別のできた大人が、今もなお熱心に――厚紙でサンドウィッチのように挾んだうえから一思いに切ってみたら? ――こんなことを考えているのである! ところが、最近、ふとしたことから、この空想の致命的な誤算が曝露してしまった——。
感想
一見すると動物虐待を思わせてしまうような内容である。
しかし私は、むしろ梶井による猫への愛情を感じてならない。
大きくわけて猫の三つの事について書かれている。
一つ目に猫の耳だ。
梶井は猫の耳に執着を見せている。
それはある種残酷なほどだ。
しかしこれも一種の愛情だろう。
二つ目に猫の爪だ。
これについてもとても可哀想なことを考えている。
猫そのものの活力を、智慧を、精霊を奪う行為だ。
しかし同時に、この空想はいつも私を悲しくするとも書いていることから、やはりそんなことを望んでいるわけではないと考えられる。
三つ目は猫の肉球だ。
これは上二つとは少し違うのだが、瞼に猫の足の裏をのせ、この世のものでない休息を味わうのだ。
上二つは少し残酷な考えかただが、肉球については直接的に愛情を表現している。
以上三つだが、ここまで細かく描写することは、愛情がなければとてもではないができないのではないかと私は思う。
ただこの作品は、猫が好きな人にとって注意が必要な作品かもしれない。
おわりに
少し時間が取れるようになったので、これからはもう少し更新できるようになると思います。
是非お楽しみにお待ちください。
最後までお読みくださりありがとうございます。