五部タイトルのような
こんにちは。
ナインです。
本日も本の紹介です。
今回紹介する作品は
『黄金風景』
です。
太宰治の作品です。
前に一度だけ太宰の作品について少しだけ触れたことがあります。
あれは『かちかち山』を紹介した時でした。
『お伽草紙』の中にかちかち山が収録されているということを書いたと思います。
そのため太宰の作品を紹介するのは今回が初めてだったりします。
ネタバレしています。
お気をつけください。
あらすじ
私は子供のときには、余り質のいい方ではなかった。女中をいじめた。私は、のろくさいことは嫌いで、それゆえ、のろくさい女中を殊にもいじめた。お慶は、のろくさい女中である。林檎の皮をむかせても、むきながら何を考えているのか、二度も三度も手を休めて、おい、とその度毎にきびしく声を掛けてやらないと、片手に林檎、片手にナイフを持ったまま、いつまでも、ぼんやりしているのだ。足りないのではないか、と思われた。台所で、何もせずに、ただのっそりつっ立っている姿を、私はよく見かけたものであるが、子供心にも、うすみっともなく、妙に疳にさわって、おい、お慶、日は短いのだぞ、などと大人びた、いま思っても脊筋の寒くなるような非道の言葉を投げつけて、それで足りずに一度はお慶をよびつけ、私の絵本の観兵式の何百人となくうようよしている兵隊、馬に乗っている者もあり、旗持っている者もあり、銃担っている者もあり、そのひとりひとりの兵隊の形を鋏でもって切り抜かせ、不器用なお慶は、朝から昼飯も食わず日暮頃までかかって、やっと三十人くらい、それも大将の鬚を片方切り落したり、銃持つ兵隊の手を、熊の手みたいに恐ろしく大きく切り抜いたり、そうしていちいち私に怒鳴られ、夏のころであった、お慶は汗かきなので、切り抜かれた兵隊たちはみんな、お慶の手の汗で、びしょびしょ濡れて、私は遂に癇癪をおこし、お慶を蹴った。たしかに肩を蹴った筈はずなのに、お慶は右の頬をおさえ、がばと泣き伏し、泣き泣きいった。「親にさえ顔を踏まれたことはない。一生おぼえております」うめくような口調で、とぎれ、とぎれそういったので、私は、流石にいやな気がした。そのほかにも、私はほとんどそれが天命でもあるかのように、お慶をいびった。いまでも、多少はそうであるが、私には無智な魯鈍(ろどん)の者は、とても堪忍できぬのだ――。
感想
これは敗北の物語だ。
「私」がいかにして彼女に負けたかについての物語だ。
まずは幸福度だろうか。
幸福度などと曖昧な呼称になるが、いってしまえば幸福かどうかということである。
もちろん幸福度など数値にしてはかれるものではないし、幸福など人それぞれ違っているだろう。
しかし「私」は彼女の姿を見て、確かに「心のどこかの隅で、負けた、負けた、と囁く声が聞えて」と思っている。
「私」は自身で負けを認めてしまっているのだから、それは当然負けだろう。
そして決定的なのが、彼女の「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」というセリフだ。
素直にうけとめれば彼女は「私」に感謝していると思うかもしれない。
しかし「私」が彼女にしてきたことは、「のろくさい女中を殊にもいじめた」や
「いま思っても脊筋の寒くなるような非道の言葉を投げつけて」など、とても親切とは程遠い行いだ。
そのため、彼女のセリフを素直に感謝していると受け止めるのは難しいだろう。
それを裏付けるのは彼女が女中時代に「私」に向けた「親にさえ顔を踏まれたことはない。一生おぼえております」というセリフだ。
このセリフからは、いつか見返してやろうという強い意思が読みとれる。
つまり彼女は女中時代の仕返しとして、「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に、目をかけて下すった」と言ったのだと思われる。
もちろん「私」は全てを理解したうえで、「負けた。」と思ったのだろう。
だからこれは「私」が彼女に負ける物語なのだ。
おわりに
最近あまり更新できていないことを申し訳なく思います。
更新頻度を上げるのは難しいと思いますが、是非今後もお読みいただけると幸いです。
最後までお読みくださりありがとうございます。