笑ったのは…


こんにちは。

ナインです。

本日も本の紹介です。

今回紹介する作品は

 

『笑われた子』

 

です。

前回に続いて横光利一の作品です。

シリーズ化の予定はないので、今回で横光の作品の紹介は終了する予定です。

また気が向いたときに書くかもしれませんが。

ネタバレありです。

あらすじ

 吉をどのような人間に仕立てるかということについて、吉の家では晩餐後毎夜のように論議せられた。またその話が始った。吉は牛にやる雑炊を煮きながら、ひとり柴の切れ目からぶくぶく出る泡を面白そうに眺めていた。

「やはり吉を大阪へやる方が好い。十五年も辛抱したなら、暖簾が分けてもらえるし、そうすりゃあそこだから直ぐに金も儲かるし。」

 そう父親がいうのに母親はこう言った。

「大阪は水が悪いというから駄目駄目。幾らお金を儲けても、早く死んだら何もならない。」

「百姓をさせば好い、百姓を。」

 と兄は言った。

「吉は手工が甲だから信楽へお茶碗造りにやるといいのよ。あの職人さんほどいいお金儲けをする人はないっていうし。」

 そう口を入れたのはませた姉である。

「そうだ、それも好いな。」

 と父親は言った。

 母親だけはいつまでも黙っていた――。

感想

才能とはかくも難しいものだ。

それを他人に見出すなど、私は怖くてできない。

怖い、と書いたのは、私がその人に対して責任がもてないからである。

きみにはこんな才能がある、だからそれを伸ばすべきだ。

だが、そんなことをいっておいて、もしそれが間違っていたらどうか?

見出されたものは必死になってその才能の伸ばそうとするだろう。

だが、実は才能といっても、多少周りより優れているだけでした、なんてことになったら、私はどう責任をとればいいのか。

確かに才能はあった、少しだけだが。

嘘ではないが、やはり少々物足りないのではないか。

そしてそうなると、今度は違う考えが浮かんでくる。

本当にこの才能で良かったのだろうか、本当はもっと別の才能があったのではないか、と。

 

吉の両親は吉を下駄屋にした。

仮面を見て、きっとそこに才能を見出したのだろう。

だが吉は言った、「貴様のお蔭で俺は下駄屋になったのだ!」と。

これではまるで吉が下駄屋になるのを望んでいなかったように聞こえる。

実際そうだったのだろう。

結果は「吉は二十五年仮面の下で下駄をいじり続けて貧乏した。」なのだから。

結論から書くと、吉の両親は見出す才能を間違えたのだろう。

書き方があまり良くないかもしれない。

吉は、貧乏だがしっかりと生活できるようにはなっている。

間違っていたと一概にはいえないだろう。

だが貧乏しているのは事実だ。

もしちがった才能を見出していたら、吉は貧乏していなかったかもしれない。

しかしたらればの話だ、結果は覆らない。

そして吉は仮面を割ることによってしっかりと折り合いをつけている。

ならばそれでいいではないか。

彼が次に作る下駄は、きっと売り物にはならないだろう。

おわりに

少し感想が長くなってしまいました。

私は今回「才能」について注目して感想を書きました。

他にもあるのですが、少し時間がかかってしまうのでこのくらいで……

みなさんも色々と考えてみてください。

 

次回の更新は明日です。

是非お読みください。

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

日輪・春は馬車に乗って 他八篇 (岩波文庫 緑75-1)
横光 利一
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