プロレタリアート


こんにちは。

ナインです。

本日も本の紹介です。

今回紹介する作品は

 

『セメント樽の中の手紙』

 

です。

葉山嘉樹の作品です。

この作品は「プロレタリア文学」というジャンルの作品です。

プロレタリア文学とは虐げられた労働者が直面する厳しい現実を描いたものです。

とくに有名なのが小林多喜二の『蟹工船』でしょうか。

こちらは読んだことがあるという人も多いと思います。

葉山作品のシリーズ化の予定はありません。

単発の予定です。

ネタバレはありです。

お気をつけください。

あらすじ

 松戸与三はセメントあけをやっていた。外の部分は大して目立たなかったけれど、頭の毛と、鼻の下は、セメントで灰色に蔽われていた。彼は鼻の穴に指を突っ込んで、鉄筋コンクリートのように、鼻毛をしゃちこばらせている、コンクリートを除りたかったのだが一分間に十才ずつ吐き出す、コンクリートミキサーに、間に合わせるためには、とても指を鼻の穴に持って行く間はなかった。

 彼は鼻の穴を気にしながら遂々十一時間、――その間に昼飯と三時休みと二度だけ休みがあったんだが、昼の時は腹の空いてる為めに、も一つはミキサーを掃除していて暇がなかったため、遂々鼻にまで手が届かなかった――の間、鼻を掃除しなかった。彼の鼻は石膏細工の鼻のように硬化したようだった。

 彼が仕舞時分に、ヘトヘトになった手で移した、セメントの樽から小さな木の箱が出た。

「何だろう?」と彼はちょっと不審に思ったが、そんなものに構って居られなかった。彼はシャヴルで、セメン桝にセメントを量り込んだ。そして桝から舟へセメントを空けると又すぐその樽を空けにかかった。

「だが待てよ。セメント樽から箱が出るって法はねえぞ」

 彼は小箱を拾って、腹かけの丼の中へ投り込んだ。箱は軽かった。

「軽い処を見ると、金も入っていねえようだな」

 彼は、考える間もなく次の樽を空け、次の桝を量らねばならなかった。

 ミキサーはやがて空廻りを始めた。コンクリがすんで終業時間になった――。

感想

 この話を与三の視点で読むと確かにプロレタリア文学だろう。

しかし、女工の手紙を読んだらある種のロマンスと捉えられるのは私だけだろうか。

手紙の部分を読んだ時、途端に私は素直にプロレタリア文学と捉えられなくなった。

しかしそれと同時に、やはりプロレタリア文学なのだなと思わせる部分も存在した。

 

この作品の中でとくに印象に残っているのが、女工の手紙だ。

中でも

「私の恋人は、どんな処に埋められても、その処久によってきっといい事をします。構いませんわ、あの人は気象の確(しっ)かりした人ですから、きっとそれ相当な働きをしますわ。」

という部分が強く印象に残っている。

死んでなお働くという発想に、私はプロレタリア文学の本質を垣間見た。

労働者には安らかな死すらも与えられないのか、死してなお、待っているのは労働なのか。

もちろんこれは特殊な例なのだろうが、私はこれこそがプロレタリア文学の本質であると感じた。

おわりに

プロレタリアとは賃金労働者階級のことを指しています。

大半の人が当てはまり、共感する人も多いのではないでしょうか。

是非一度、プロレタリア文学に触れてみてはいかがでしょうか。

 

最後までお読みくださりありがとうございます。

セメント樽の中の手紙 (角川文庫)
葉山 嘉樹
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