そう呼ばずしてどう呼ぶか
こんにちは。
ナインです。
本日も本の紹介です。
今回紹介する作品は
『鏡地獄』
です。
江戸川乱歩シリーズ第9弾です。
他の作品(今まで紹介した乱歩作品)についても少し言及しますので、この作品のネタバレとあわせてお気をつけください。
あらすじ
「珍らしい話とおっしゃるのですか、それではこんな話はどうでしょう」
ある時、五、六人の者が、怖い話や、珍奇な話を、次々と語り合っていた時、友だちのKは最後にこんなふうにはじめた。ほんとうにあったことか、Kの作り話なのか、その後、尋ねてみたこともないので、私にはわからぬけれど、いろいろ不思議な物語を聞かされたあとだったのと、ちょうどその日の天候が春の終りに近い頃の、いやにドンヨリと曇った日で、空気が、まるで深い水の底のように重おもしく淀んで、話すものも、聞くものも、なんとなく気ちがいめいた気分になっていたからでもあったのか、その話は、異様に私の心をうったのである。話というのは、
私に一人の不幸な友だちがあるのです。名前は仮りに彼と申して置きましょうか。その彼にはいつの頃からか世にも不思議な病気が取りついたのです。ひょっとしたら、先祖に何かそんな病気の人があって、それが遺伝したのかもしれませんね。というのは、まんざら根のない話でもないので、いったい彼のうちには、おじいさんか、曾(ひい)じいさんかが、切支丹(キリシタン)の邪宗に帰依していたことがあって、古めかしい横文字の書物や、マリヤさまの像や、基督(キリスト)さまのはりつけの絵などが、葛籠(つづら)の底に一杯しまってあるのですが、そんなものと一緒に、伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)に出てくるような、一世紀も前の望遠鏡だとか、妙なかっこうの磁石だとか、当時ギヤマンとかビイドロとかいったのでしょうが、美しいガラスの器物だとかが、同じ葛籠にしまいこんであって、彼はまだ小さい時分から、よくそれを出してもらっては遊んでいたものです。
考えてみますと、彼はそんな時分から、物の姿の映る物、たとえばガラスとか、レンズとか、鏡とかいうものに、不思議な嗜好を持っていたようです。それが証拠には、彼のおもちゃといえば、幻灯器械だとか、遠目がねだとか、虫目がねだとか、そのほかそれに類した、将門(まさかど)目がね、万華鏡、眼に当てると人物や道具などが、細長くなったり、平たくなったりする、プリズムのおもちゃだとか、そんなものばかりでした――。
感想
『鏡地獄』は不気味だ。
今まで紹介してきた乱歩作品にも似たような形式の作品はあった。
語り部が、自身が体験した話を他の者に語るという形式のものだ。
『人間椅子』や『赤い部屋』がこれにあてはまるだろう。
ネタバレになってしまうのだが、この2作品はオチをそのまま捉えるのだとしたら、「なんちゃってエンド」と呼べるだろう。
現実離れしたこんなことがありました、最後はこうなりました、本当は冗談でした、みたいな流れだ。
しかし『鏡地獄』はそんな流れではない。
確かに途中までは似たような流れだった。
だが最後の、本当は冗談でした、がないのである。
他の二作は夢から覚めたような感覚になる。
しかしこの作品は夢から覚めずに、未だ夢の中にいるような感覚に陥るだろう。
どうせ今までみたいに、本当は冗談でした、となるのだろうと読んでて思っている自分がいた。
しかしその考えはあっさり打ち砕かれ、見事にしてやられた。
そんな理由もあり、『鏡地獄』は不気味な作品だと私は思った。
おわりに
次回も江戸川乱歩シリーズの予定です。
遂に第10弾、最後の江戸川乱歩シリーズの予定です。
書く作品はすでに決めてあるので、是非お楽しみにしていてください。
最後までお読みくださりありがとうございます。
光文社
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